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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)3433号 判決

原告

島村たい

被告

東京近鉄観光バス株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告に対し金三四七万七、二〇〇円およびこれに対する昭和四七年五月二日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を原告の、その余を被告らの、各負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告らは各自原告に対し金一、〇八九万七、二二七円およびこれに対する昭和四七年五月二日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする旨の判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  被告ら

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求める。

第二請求の原因

一  事故の発生

昭和四三年一〇月三一日午後〇時三〇分ころ、東京都世田谷区三軒茶屋二の一三先路上において被告谷川正義(以下被告谷川という)の運転する営業用大型バス(練馬2い三九七)が訴外浅野保平の運転する乗用車に追突し、よつてさらに同車が訴外林末吉の運転する車両(品川5え三八四五)に追突し、その衝撃により同車の乗客である原告が頸部後頭部等を強打し負傷した。

二  被告らの責任

被告谷川は、速度超過、前方不注視、車間距離不保持の過失を犯し、これが本件事故の原因となつたものであるから民法第七〇九条により、被告東京近鉄観光バス株式会社(以下被告会社)は、右加害車の所有者であつて、これを自己のため運行の用に供していたものであるから自賠法第三条により、それぞれ本件事故のため原告が受けた損害を賠償する義務がある。

三  負傷の内容および治療経過

原告に、本件事故による頭部外傷、両頸部肩上膊部の強度の緊張感、右側尺骨神経麻痺、右上膊部肩肘間部神経痛眩暈、視力障害等々の症状のため左記のとおり長期間の治療を受けたが、現在なお相当強度の後遺症をのこしている。

(入院経過)

(一) 昭和四三年一〇月三一日より同年一二月三日まで

井福病院

(二) 昭和四四年三月一日より同年五月一日まで

厚生年金湯ケ原整形外科

(通院経過)

(一) 昭和四三年一二月四日より昭和四四年二月二七日まで

井福病院

(二) 昭和四四年二月一八日より同年七月二六日まで

川崎関東労災病院

(三) 昭和四四年二月一三日より同年三月一日まで、同年五月二日より同年七月三一日までおよび同年一〇月八日より昭和四五年一月三〇日まで

厚生年金湯ケ原整形外科

(四) 昭和四四年七月三〇日 日赤中央病院

(五) 昭和四七年中に若干の通院

四  原告の損害

1  休業損害 八五九万七、二二七円

原告は本件事故当時左記の各職業に従事して収入を得ていたが、本件事故により業務につくことができなくなり、下記のごとき休業損害を蒙つた。

(一) 飲食店営業

原告は昭和四一年一二月よりお茶漬小料理屋「島」を経営しており、昭和四三年三月一日より同年一〇月三一日までの間(計二四五日)の総売上高は一七一万六、五〇〇円であり、この種の営業の場合諸経費の占める率は二〇%を上まわることはないので、同期間に少なくとも一三七万三、二〇〇円の純収益があつた(従つて推計純収益日額は五、六二一円)。原告は本件事故による負傷のため昭和四三年一一月一日より昭和四六年一〇月七日まで(計一、〇七一日)右営業にたづさわることができなかつた(もつとも昭和四四年一二月三一日までは従業員のみによつて営業を続けたが、店主である原告を失つての営業は赤字続きで、従業員もつぎつぎにやめてしまい、このあとは完全休業することになつた)。よつて原告は、六〇二万〇、〇九一円の受べかりし営業収入を失い同額の損害を受けた。

(二) 会社従業員

原告は昭和四三年五月一日より訴外大石工機株式会社に経理等の事務職員として勤務し(ただし同年一一月本採用予定であつた)収入を得ており、本件事故前三か月の給与月額は平均五万円であり年間の一時金は二・五か月分であつた(従つて事故前三か月間の平均給与日額は一、六二九円)。原告は本件事故のため昭和四三年一一月一日付で退職した。原告は本件事故がなければ少くともあと一〇年間は右会社に勤務していた筈であるが、本件事故後三年六月を経過した昭和四七年三月末においてもなお記銘力障害等の後遺症のため再就職の見通しは極めて少ない状況である。ただし右会社は原告の能力が回復さえすればいつでも再雇用する旨再三言明しており、原告も再就職の意思はある。よつて原告は昭和四三年一一月一日より昭和四七年三月三一日までの間(計一、二四八日)に、二〇三万二、九九二円の受べかりし給与収入を失い同額の損害を受けた。

(三) 保険代理店営業

原告は本件事故当時訴外自動火災海上保険株式会社の保険代理店を営業しており、昭和四三年八月一日から同年一〇月三〇日までの保険代理報酬は合計三万八、九八五円(従つてこの期間中の平均報酬日額は四二八円)であつた。しかして原告は本件事故のため営業を中断することを余義なくされ昭和四七年三月末においてもなお本件事故の後遺症のため精神的肉体的疲労が激しく、営業再開の意思はありながらも営業再開不可能の状況にある。よつて原告は昭和四三年一一月一日より昭和四七年三月三一日までの間(計一、二四八日)に、五三万四、一四四円の受べかりし収入を失い同額の損害を受けた。以上(一)、(二)、(三)の損害の合計は八五九万七、二二七円となる。

2  慰藉料 二〇〇万円

3  その他の損害 三〇万円

(一) 治療関係雑費 二〇万円

(二) 弁護士費用 一〇万円

五  よつて原告は以上の損害金合計一、〇八九万七、二二七円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四七年五月二日より完済に至るまで民事法定利率五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告の答弁

一  請求の原因一記載の事実中、原告の受けた傷害の部位程度は不知、その余の事実は認める。

二  同二記載の事実はすべて認める。

三  同三記載の事実中、左記のごとく入通院したことは認めるが、その余の事実はすべて不知。

(入院)

(一) 昭和四三年一〇月三一日より同年一二月三日まで

井福病院

(二) 昭和四四年三月一日より同年五月一日まで

厚生年金湯ケ原整形外科

(通院)

(一) 昭和四三年一二月四日より昭和四四年二月二七日まで

井福病院、実通院一六日

(二) 昭和四四年二月一八日より同年七月二六日まで

関東労災病院、実通院七日

(三) 昭和四四年二月一三日より同年三月一日まで

厚生年金湯ケ原整形外科、実通院五日

四  同四記載の事実中、原告が本件事故当時飲食店を経営していたことおよび日動火災海上保険株式会社の保険外務をしていたことは認めるが、原告が大石工機に勤めていたとの点は否認し、その余の事実は不知、原告は昭和四四年七月二六日、関東労災病院において、自賠法施行令別表の一四級該当の後遺症を残し治癒と診断されているから、それ以降は後遺症補償の問題が残るだけである。また、原告経営の飲食店の純益は売上の約二割程度というのが常態ではなかろうか。

第四証拠関係〔略〕

理由

一  本件事故の発生

請求原因一記載の追突事故の発生は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告は右追突による衝撃により頸椎捻挫、頭部外傷(脳震盪)および胸部打撲傷の傷害を受けたことが認められる。

二  被告らの責任

被告谷川に制限速度違反、前方不注視、車間距離不保持の過失があり、これが本件事故の原因となつたことおよび被告会社が本件追突車両の所有者であつて、これを自己のため運行の用に供していたものであることは当事者間で争いなく、右の各事実によれば被告谷川は民法第七〇九条により、被告会社は自賠法三条により、それぞれ本件事故による原告の損害を賠償しなければならない。

三  治療の経過、症状

(一)  原告が、以下のような入・通院をしたことは当事者間に争いがない。

1  昭43・10・31~同12・3 井福病院入院

2  昭43・12・4~44・2・27 同病院通院(一六回)

3  昭44・2・13~同3・1 厚生年金湯河原整形外科病院通院(五回)

4  昭和44・3・1~同5・1 同病院入院

5  昭44・2・18~同7・26 関東労災病院通院(七回)

(二)  さらに、〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。

1  原告は、右のほか、昭和四四年五月四日から昭和四五年一月三〇日までの間、約一二回右厚生年金湯河原病院に通院して治療を受けたほか、昭和四四年六月二五日には京浜病院において、同年七月二六日には日赤中央病院において諸検査を受けた。

2  右湯河原病院における入院当初においては、原告は、頭痛・頸部痛およびそれに基づく頸部運動制限、上下肢のしびれ感、歩行困難を訴えており、同病院退院時頃には歩行は比較的軽快したが、他の症状は依然残つており、吐気も続いていた。

3  右病院に通院して治療を受けていたが、同病院における原告の主治医が、関東労災病院に転院したため、原告も関東労災病院の方へ通院するに至つた。

4  関東労災病院においても、原告は歩行困難と上下肢のしびれ感、耳鳴を訴えていたが、諸検査の上では、神経学的にも、耳鼻科、眼科にも異常はなかつたが、同病院における最終診断時にも、右肩部痛、左大後頭神経痛、立ちくらみ等を訴えており、神経症状は残るであろうと診断されていた。

5  右京浜病院における診察においては、原告は、両上肢のしびれ感等の知覚障害、頸椎運動制限、頂背部筋硬結、著しい握力低下、下肢伸展屈曲時坐骨神経走行にそつての疼痛、足趾背屈筋低下等を訴えており、検査上もこれがある程度裏打ちされていた。

6  以上のような治療等によるも、原告は、耳鳴、吐気、記銘力低下、しびれ感、易疲労感等に苛なまれ、昭和四七年一月ないし四月にかけて、鬼子母神病院、代々木病院において五、六回診療を受けた時点でも、原告は精神的肉体的疲労、記銘力低下等を訴えており、代々木病院におけるクレツペリン検査ではd段階、記銘力検査では著しい異常が認められており、労働には極めて制限される状態にあるものと診断された。

7  原告は昭和四八年七月時に至るも、耳鳴、吐気、記銘力低下、時々起きるしびれ感、あるいは長時間の歩行困難等を訴えている。

8  なお、原告は事故当時満四八歳であつたが、元来健康にめぐまれ、社交的、活動的かつ勤勉な性格であり、本件事故に至るまでは連日早朝から深夜まで労働するかたわら、三味線、長唄、民謡を習い、また後記日動火災関係の山岳部のリーダーや社交ダンスクラブの副部長をしていたのであるが、本件事故以後は疲れ易く記億力低下し、従来従事していた労働、趣味をほとんど全部放棄せざるをえなくなり、休みながらも仕事をするようになつたのは昭和四七年四月以降のことであつた。

以上の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。

これによると、他に特段の反証のない本件では、原告の右認定したような諸症状は、いずれも本件事故に起因するものというべきであり、漸次その症状は軽減していつたものの、昭和四八年時においてもそれは残つており、このため原告が日常生活や労働面等で多大の影響を受けたことは明らかである。そして、以上のような原告の治療経過、その間の症状、年令と、後記認定のような原告の職業とに鑑みれば、本件事故により喪失ないし滅殺された原告の労働能力は、本件事故後昭和四四年八月末までが一〇〇パーセント、その後昭和四七年三月末までが、総じて平均して考えると二〇パーセントと認めるのが相当である。

四  休業損害

(一)  (お茶漬小料理屋「島」関係)

原告が本件事故当時世田谷区三軒茶屋において、お茶漬小料理屋「島」を経営していたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば次の事実が認められる。

1  原告は右飲食店を昭和四一年末ころ開業したが、店舗の広さは間口二・五米奥行七米面積約五坪、客はカウンターに七、八名、座敷にほゞ同数を収容できる程度のものであつて、本件事故以前は年中無休で毎日午後六時半ころより午前一、二時まで営業し、原告および手伝い二、三名が常時働くほか、原告の娘順子が時々手伝つていた。営業品目は酒、ビール、ウイスキーの他、お茶漬、おにぎりおよび魚、とり肉などを材料とした小料理であつた。

2  同店の営業の中心は原告であつて、仕入、集金、客の接待等も主として原告があたつており、客層は、中年以上の中小企業の経営者等が多く、平均しても月当り少なくとも四〇万円前後の売上をあげていた。そして、その諸経費は概ね六割である。

3  原告の受傷後は、原告が働けないため、当初しばらくは、娘順子が店の経営に当つたが、客層が変化し、売上が減少し、昭和四五年末頃には、真下裕子、その後高橋某をマダムとして雇つて、店の経営を続けている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人島村順子および原告本人の供述中の本件事故当時の一日の客数は平均二〇ないし三〇人、一人平均の飲食代二〇〇〇円、一日の平均売上二万ないし三万円、月間の売上平均七〇万円、諸経費を控除したあと月間純益(手取り収入)平均約三〇万円(一日あたり約一万円)との部分は、当裁判所に顕著な同店の所在地、そして右認定の企業、営業形態に照らし、到底信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

これによると、同店の純利益は平均して月当り一六万円と算定されるが、原告の逸失利益を算定するには、右認定のように営業が何らかの形で継続されている時には、少なくとも投下されている資本による利潤分は控除されねばならず、また、原告自身が稼働しないことにより支出を免れた衣装代・化粧代等や、家族の寄与分を控除しなければならないから、原告の同店における労働能力分は、右純益の六〇パーセントに当たる九万六、〇〇〇円と評価するのが相当である。

右認定の事実と前記認定した原告の労働能力喪失割合によると、原告のこの点の昭和四七年三月末までの損害は一五五万五、二〇〇円と算出される。

96,000×10(43.11.1~44.8.31)+96,000×0.2×31(44.9.1~47.3.31)=1,555,200

(二)  (大石工機株式会社関係)

〔証拠略〕によれば、原告は昭和四二年はじめころから、訴外大石日出男の家庭の家事手伝い(食事の仕度、掃除、子供の世話等)と同人の経営する大石工機株式会社の事務員(売上、給料、所得税、保険料等の計算)を兼ね、右会社の事務所と大石の住居のある川崎市まで月二〇日くらい通勤していたこと、同所においては、勤務時間の定めは特になく、家事手伝七分、会社の事務三分の割合で大体正午ころから夕方五時か六時ころまで働き、毎月五万円の給料を受けていたが、会社が雇用しているというより大石個人の使用人であつたこと、しかし大石も原告の勤務ぶりに満足しており、原告の提供する労務を必要としていたので、もし事故がなかつた場合は、少なくとも昭和四七年三月末までは原告を雇用し続けたであろうことが認められ、これに反する証拠はない。

右認定事実と前記認定した原告の労働能力喪失割合によると、原告のこの点の昭和四七年三月末までの損害は八一万円と算出される。

50,000×10+50,000×0.2×31=810,000

(三)  (日動火災海上保険代理店関係)

原告が本件事故当時日動火災海上保険株式会社の代理店を営業していたことについては当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告は、約二〇年前から日動火災海上保険会社の代理店を営み、報酬を受けており、例えば昭和四三年八月より同年一〇月までの三か月に原告が受取つた代理報酬は原告主張のとおり三万八、九八五円(一日平均四二五円)であつたこと、本件事故以後は原告は代理店業務を行うことができなかつたが、代つて原告の娘である順子や訴外日動火災海上保険株式会社の従業員らが原告の名義で業務を続行し、昭和四四年中について二一万五、六五八円(一日あたり五九〇円)、昭和四五年中について一七万九、〇八九円(一日あたり四九〇円)の代理報酬を原告が受取ることができたことが認められ、これに反する証拠はない。これによると、昭和四七年三月末に至るまで、原告は右と同程度の額の代理報酬を受取つていたものと推認される。

右認定事実によれば、事故受傷前後を比較し、原告のこの点の代理報酬に顕著な減収はないが、これは右認定のように娘順子の稼働や保険会社の協力・助力によるものであるから、これらの労働力により原告の得たものは、原告の損害と損益相殺すべきでなく、結局、事故による原告の代理報酬の得べかりし利益の損害も月当り一万円の割合では肯定されるべく、これを前記したような方法により算出すると、一六万二、〇〇〇円となる。

10,000×10+10,000×0.2×31=162,000

五  慰藉料

原告が本件事故により受けた傷害の部位程度、その治療経過ならびに後遺症状は前に認定したとおりである。このため原告は少なからぬ肉体的精神的苦痛を受けたことが推認されるので、原告の右苦痛に対する慰藉料は七五万円を相当とする。

六  その他の損害

(一)  (治療関係雑費)

〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四三年一〇月三一日より昭和四五年一月三〇日までの間に、原告・家族の病院への交通費、日用雑貨・栄養補給品の購入、医師・看護婦への謝礼等として、一九万三、六二七円の諸雑費の支出をしたことが認められ、右認定に反する証拠はないが、そのうち少なくとも一〇万円は本件事故と相当因果関係にあるもので、被告らが賠償すべき損害と認める。

(二)  (弁護士費用)

弁論の全趣旨によると、原告は、被告らが任意の弁済に応じないため、その取立を弁護士である本件原告訴訟代理人に委任し、その弁護士費用として、本訴提起前に、一〇万円を支払つたことが認められる。

そして、本件事案の内容、審理経過、認容額とによれば、右支出は本件事故と相当因果関係にあるものとして、被告らにおいて負担すべきである。

七  結び

以上のとおりであるから、被告らは各自原告に対して以上の損害額計三四七万七、二〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年五月二日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべきものと認め、原告の請求を右の限度で正当として認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中康久)

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